「古民家再生中です。3週間経過しました!」

2022-06-21

(写真 :天井を外して太い骨組みが露出した作業中の家。割と大ベテランの大工さん曰く「自分達の世代ではもうやっていなかった、さらに前の世代の旧式の工法で組まれている」そうです)

 

 

川上町の古民家再生に取り掛かって3週間が過ぎました。毎度毎度の自転車店 店主の中島です。 🙂 

 

自転車店の仕事を休んで集中して作業してる割にはまだまだ店舗らしい外見には程遠いのですが、内装・外装ともに着々と変貌を遂げつつあります。

 

従前からお世話になってる工務店さんに作業をお願いしてるのですが、大工さんの仕事の早い事と言ったらありません。丁寧でピシャッとした作業でいて早いのですから、大変心強くお任せできております。

 

 

 

 

プロの方々なら当たり前なんでしょうけど、古い世代の職人さんながら、赤い光の出る未来機器(たぶんレーザー水準器。奥の右手に見える三脚の機械)を淡々と使いこなし、黙々と作業される姿には感心させられます。

 

 

ちなみに、古民家というか、明治世代を引き継ぐ古い家なので、押入れからこんな物も発掘されております。

 

 

 

 

畳も上げて床が剥き出しになってるココは元、明治生まれの祖父母の部屋だった和室で、古い布団入れの木箱が出てきました。

長持(ながもち)

 

という、日本古来の木箱のようで、中には布団が大量に入ってましたが、その布団はほとんど痛んでなかったですね。古来の知恵で、中の物の保存性が高い構造みたいです。木の両端にある持ち手のところに棒を差して、二人でかついで運べるようになっており、明治生まれのおばあちゃんの嫁入り道具だった物と思われます。資料では「総桐製」となってますが、実家にあった物はたぶん、普通の木材の漆塗り仕上げ?巨大な割に重くなく、昔ながらのいい仕事で造られたナイスな一品です。お輿入れの際の必需品だった時代があるようですね。 😯 

 

 

 

(写真資料 府中家具木工資料館より引用)

 

 

 

 

余談ですが、「長持」の事を調べていて、ついでに興味がわいた言葉というか、漢字の表記もありました。それは、

 

 

「卓袱台」(ちゃぶだい)です。

 

 

(写真資料 同じく、府中家具木工資料館より)

 

 

 

あの、

 

星一徹 や 寺内貫太郎

 

がひっくり返しまくっていた、「ちゃぶ台返し」のちゃぶ台。ひっくり返される台の上に乗ってる「お茶」や「茶碗」のイメージで、

 

 

「茶ぶ台」かと思っていたら違いましたね。

 

 

慣用的には、「ちゃぶ台」と表記されて、漢字でお目にかかる事はありません。この「卓袱台(ちゃぶだい)」の「ちゃぶ」の漢字「卓袱」は「しっぽく」とも読み、長崎で発展した独自の中華料理、

 

「卓袱料理(しっぽくりょうり)」

というのがあるように、現在でも使われております。

 

かつて中国大陸から料理と共に入ってきた、料理の小皿を載せていた脚が低くて小振りな丸い膳(ぜん、食台)の漢字表記が「卓袱」で、発音は「チャフ」(みたいな感じ?)だったものが、次第になまって「チャブ(の台、ちゃぶ台)」になったとの説あり。

 

恐らく、「しっぽく」というのは、日本語の音読みなのかな?

(すみません、不確かです。正確な事は、各自お調べくださいませ)

 

 

 

すみません、余談が広がり過ぎてますが、もう少しお付き合いください

 

 

 

「星一徹や寺内貫太郎は、ちゃぶ台を一度もひっくり返していない」

 

というコラムに出くわして、人の先入観や思い込みの「いい加減さ」を改めて勉強になりました。

 

 

総じて誤解しがちな部分をまとめますと、

 

 

⬜︎ ちゃぶ台は、お茶碗とか乗っかってるけど、「茶ぶ台」ではない。

 

⬜︎ 巨人の星の「星一徹」や「寺内貫太郎」がひっくり返す(?)「ちゃぶ台」は、丸い円卓ではなく、長方形だった。

 

⬜︎ そもそも星一徹も、寺内貫太郎も、イメージ程にちゃぶ台をひっくり返していない。

 

⬜︎ 昭和の頑固オヤジ代表格「星一徹と寺内貫太郎」は、作中では食台の先の息子達に殴りかかった拍子に台と茶碗が飛ぶ設定になっており、実は台に手をかけてひっくり返すような、いわゆる『ちゃぶ台返し』を一度もしていないと判明。

 

⬜︎ 寺内貫太郎は、息子の西城秀樹さんと取っ組み合う名物シーンはお約束ながら、都度おばあちゃんとお手伝いさん(のちの樹木希林さんと浅田美代子さん)が「ちゃぶ台」を片付ける事になっており、星一徹にいたっては、「ちゃぶ台越しに飛雄馬を殴るシーン」が毎回のエンドロールで繰り返されているだけでその一度きりと、両名とも「ちゃぶ台返しの常習犯」のイメージは正当なものではない。

 

 

写真引用 studyenglish.at.webry 様

 

 

⬜︎ ︎「ちゃぶ台をひっくり返す」というのは、物に当たる行為であり、いわば八つ当たり。ドラマのキーマンとして描かれている「星一徹」も「寺内貫太郎」も人格者であり、自分の息子を叱るために食卓越しに本人に直接殴りかかっておりたまたま間にあった「ちゃぶ台」は2次被害に遭った形である。

(とは、コラム主の方の分析です)

 

 

⬜︎ 本来「ちゃぶ台返し」とは、様々に苦労や根回しをしてお膳立てしてたものを、立場が上の者がひっくり返して台無しにする様を揶揄(やゆ)するものだったハズだが、いつの間にか、

 

「ブチ切れて(関係ない物に八つ当たりして)爆発する様」

にすり替わっているように思われる。今風なんですかねー。

 

 

⬜︎ ちゃぶ台返しの代表者となっている「星一徹と寺内貫太郎」は共に好人物であり、一般的には「ちゃぶ台返し」を「愛の鉄拳的な」ものとして肯定的にとらえている向きも多いと思うが、

 

「そもそも両名はちゃぶ台返しをしていない」という観点は非常に重要である。

 

 

⬜︎ 彼らに象徴される昭和の頑固オヤジは、人と面と向かって対峙する事に臆しない、ちゃぶ台越しだろうがなんだろうが直接本人(息子)に殴りかかる威厳と信念を持っている、そんな事が人格者としてのブレないキャラクターの良さであり、共感を呼んでいる。

 

 

⬜︎ 逆に、人と向き合うのが苦手で、また、怒りの制御も失ってブチ切れ、八つ当たり的に物に当たってしまうとしたら・・・例えば、本当に「ちゃぶ台をひっくり返す」行為が行われるとしたら、言い方が悪くて申し訳ないけど、それは子供がやりそうな、浅はかで愚かな行為のようにも思えてきた。

 

そんな意味では、「真っ当な昭和の頑固オヤジ」にとっては、(八つ当たり的な)「ちゃぶ台返し」と結び付けられるのは、飛んだトバッチリ、2次被害なのである。

 

⬜︎ 「ちゃぶ台返し」をゲーム化したものもあるようですが、願わくば、特に若い人々には、例えば怒りのエネルギーであっても、上手いこと「真っ当な社会貢献力」に昇華させられるよう、日々研鑽していきたいものです。

 

 

→リンク(基本的な分析は、下の記事、コラムニストの堀井 憲一郎さんのコラムから引用させていただきました)

 

 

 

 

 

 

ああ、寄り道が長かった。

 

 

 

 

昨日は外壁のコンクリート地部分をチョコレート色に塗ってみました。悪くない仕上がりなので、このまま外壁の上面は茶色ベースでまとめていきます。中ほどの白とマダラになってる部分は、水性塗料が雨で流れ落ちてしまったんですね。塗り直しします。

 

 

 

 

駐車場入口は、もう少し広げる予定で、側溝の段差もなんとか角を落としたいところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

外回りのウッドデッキを壊したところで、床下から「何だか」出てきました。

 

 

 

 

ということで、すみません、開店までもう少しお待ちくださいませ。 😆